不/思/議/の/国/の/ア/リ/スパロです。
綱吉がナチュラルに女装しておりますので、苦手な方はご注意ください。






深緑の森。薄闇の中に零れ落ち、瞬く陽光。

吹き抜ける清涼な風。

絹糸を編みこむような繊細な空気が育む山間に、その屋敷は居を構えていた。

緑の背景に映える赤レンガの建物と、丸く切り取られた肥沃な庭。

柔らかく生い茂る草の絨毯は、時折まばらな感覚で人の手が入っているのか、厳密に刈り取られているわけではないようで、人工の中に自然を漂わせている。

踏みしめれば軽く沈む柔らかな土。

稜線を分かつ空の青は鮮やかに澄み渡り、気候の穏やかさを示すかのようで。

庭の端、森との境に程近き巨木の根元に座しながら、綱吉はホウと息をついた。



「…眠い」



適当に視線を落とし、適当にページをめくっていた手を止めて、膝の上に投げ出されたのは分厚い書物。

パタン、と重厚な紙束が、閉じられる時特有の音色を奏で、鼓膜を震わせるのに目を伏せながら、綱吉はずるりと後ろに身を仰け反らせた。

ここに辿りついてすぐ着せられることになった水色のワンピースと白のエプロンドレス。

太ももまで覆う真っ白のニーハイ。微かなヒールが違和感を与えるパンプスもなんとか走ることが出来るまでには馴染ませられた。

跳ね放題の髪に埋もれるようなリボンは未だに自分では着けられないものの、纏うことにはようやく何も感じない程になってきている。

完全なる女装。それもこれも、俺の身を守るために必要な手段のひとつだと押し切られれば、泣く泣く受け止めなければならない。

溜息と共にわずかに滑り落ちた背は穏やかにも力強い木の幹に支えられて止まる。

そうして豪奢な皮の表紙を指で辿りながら、ひとつ重々しい溜息を吐き出した。



「眠い眠いあー眠いっ! もうそろそろ限界だよ……」

ゆらゆらと振れる脳をなんとか奮い立たせてみたものの、そんな我慢は長く続かないに決まっている。
静養と休暇を兼ねて山奥の別荘まで時間をたっぷりかけてやってきたというのに、同行した家庭教師のリボーンによって、俺は日々拘束されっぱなし。

あんまりじゃないか。こんなに素敵な家なのに。

いずれボンゴレの全てを受け継ぐのだ、と言い聞かせられて育てられたはいいものの…はっきり言って実感なんて欠片もない俺にとっては勉強なんて厄介なだけ。

とはいえ、俺がリボーンに真正面から対抗できるわけもなく。

「気が滅入る!」となんとか抗議し、もぎとった権利は妥協策にも似た野外での読書だったのだが…。

失敗…とまでは言わないものの、良策とは言いがたかった。

与えられた分厚すぎる書物は長い長い、空想物語。

「まだ十分の一も読めてないし……ところどころ難しい言葉で意味わかんないし……ひたすら眠いし」

うーん、と頭を抱えながら俯けば、漂う眠気に誘われて瞼がゆるりと落ちていく。

ああ、ダメだ、このままでは。という自制心はどんどん片隅に追いやられ、まあいっかという諦めが首をもたげる。

少し。少しの間だけ。

休憩だって、必要だよ。読み始めてまだ三十分しか経ってないけど。リボーンに見つかったら怖いけど。

きっと、この大木の幹に鉛球を撃ち込んで俺を脅すに決まっているのだけれど。

「………ちょっと、だけ…」
急激に重みを増した瞼は、磁石が引き合うが如くピタリと閉じて離れなくなった。

穏やかに意識が遠のいていく。

暖かな風は毛布の代わり。

穏やかな日差しが子守歌。

背を預けた木は優しく背を撫でる母さんの手。

すー、と、知らず知らずのうちに鼻から息が零れ出た。








その時だった。








「ぐえ!」

「ああ!? なんだぁ!?」

ずるずると斜めに傾いていた俺の胴体、腹の部分に、ドスン、と重たい衝撃が与えられた。

「な、なに!? なにごと!?」

「う゛おぉい! なんでこんなとこに出ちまったんだぁ!」

衝撃の反動でパッチリ開ききった俺の視界に映り込んだのは、ものすごい光景だった。

まず目についたのは辺りをキョロキョロと見渡す度に揺れる長々しい銀色。

弓がしなるように繊細かつ大胆な弧を描く銀色は、日光に照らされてやたら目に痛い。

しかも、視線をちょこっと上に向ければ……ぴょこんと生えているのはいわゆる、うさ耳。

バ、バニー?

いやしかし、この人って…。

俺の腹を跨いでどっかと座る様は、突然現れた不審人物にも関わらずやけにどっしりと構えていて、まるでこうして俺の上に腰掛けるのは当たり前だという雰囲気すら感じられる。

股を開き、地にしっかりと靴底を付けているのはいいとしても……そこに重心を置かず、俺の腹へ重み全てを課すのはいささか不遜すぎやしないか。

まるでどこかのパーティーにでも行くんですかと言いたくなりそうな、礼装。

黒の革靴。黒のパンツ。白のシャツと仕立てられたジャケット。…首元に添えられるのは、蝶ネクタイで。

そう、つまりは、れっきとした男性。

それも、俺よりかなりの長身と見た。

「ベルの野郎……どこが近道だぁ! でたらめばっかり言いやがって!」

あいつを信じた俺が馬鹿だったぜぇ! と独り言にしちゃやけに大きな叫びを上げるその人は、あきらかに変態さんだ。

だって、服装ばっちりなのに……うさ耳ついてるんだもん。

バニーガールならぬバニーボーイ? いや、ボーイなんて呼べる年齢でもなさそうだ。

「ちくしょう……とにかく急ぐしかねえなぁ…!」

「へ? え? ちょ、ちょっと」

ふっと腹の重みがなくなる。…っていうか、ここまで俺に乗っかっておきながら、この人完全に俺のこと無視ですか? ありえなくない?

「こっち、だな」

「あ、あれ? え? 謝罪も説明もなしですか? …いや、説明されても困るけど」

コスプレの事情なんて知っても俺にはどうにもできない。

ただ「その格好でうろつくのはあまりおすすめできないんですけど」なんてやんわりツッコミ入れるだけだよ。

「あの、ここはボンゴレの私有地なんで、見つかると多分危ない……」

警備の人に見つかったらえらい目にあわされちゃうかも、と続けるはずだった俺の言葉は喉の奥へと巻き戻っていってしまった。

ふわ、と。

立ち上がった彼が髪を払って辺りを見回した瞬間に、初めて見えたその顔。

鋭い目付きに薄い唇。高く通った鼻筋は黄色人種の俺には持ち得ない気品と気高さが醸し出されていて。

少しだけ。ほんの少しだけ。





綺麗な人だと、見入ってしまった。





「急がねえと、またあいつの機嫌が悪くなる……って、いつも悪いがなぁ…」

「ぐえ!」

――ホントに、ほんの少しだけだった。

再び踏みつけられた腹。

俺の方を顧みることさえなくスタスタと歩き去る長い足。

酷すぎる! 非人道的!

俺のこと、道端に転がってる小石程度にしか認識してないよあの人! うさ耳生えてるくせに!

次々に溢れ出てくる憤りと悔しさのままに、駆け出したその人の背を俺の目だけはばっちり追っていて。

「一言くらい、謝ってくれてもいいのに…!」

面と向かって文句を言えない弱さを自覚しながらも、ゆっくりと立ち上がりながら森へと入っていく小さな背中に毒を吐こう、と、していたのだ。

だって悔しかったから。

とてもじゃないけどあんな変でおっかない人に正面から突っかかっていけるほど俺の勇気は大きくない。

だから、せめて、聞こえないくらいの文句はいいじゃないかと、自分を慰めるしかなかったのだ。



ポロリと、膝から何かが落ちるまでは。



「……なんだこれ」

柔らかな草に埋まるように落ちた金色の物体。

掌にすっぽりと収まるサイズのそれは丸く滑らかな感触で、触れる者に思わず感嘆の息を吐かせるほどの代物だ。

日光よりも月光を思わせる優しい黄金の輝き。

耳をすませば小さく、ごくごく小さく、規則正しい機械音。

「高そうな時計…」

カチン、とヒューズ部分の天辺を押せば、勢いよく開いた文字盤に目を細めた。

新しい物、という雰囲気はない。むしろ使い込まれたような。大切に大切に扱われているそれ。

「さっきの人の、かな?」

俺の上に落ちてきた衝動で落としてしまったのだろうか。

どうしよう。警察に届ける?

いや、それだと侵入者がいたのかとボンゴレ側で騒ぎになりかねない。

そうなるとリボーン辺りから「なんで捕まえなかった」とかなんとか言われて理不尽な虐待を受けるに決まってる。恐ろしい…恐ろしすぎる!

…だったら。

本心は嫌だよ? 嫌で仕方ないよ。

だって明らかに様子がおかしな人だったし。俺のこと完全に無視してくるような人でなしだったし!

けど……俺が持っているわけにもいかなければ届け出るわけにもいかない。

俺がこうむる被害の度合いを想定して比べれば……俺の選択はひとつに絞られるわけだ。

「ちょっと行ってちょっと捕まえて、さっさと返しちゃえばいいんだよね…!」

そして俺はさっさと帰ってくる。もうすぐお茶の時間だ。それまでに帰ってこられるように。



彼の後を追って駆け出した足は、あんな人追いかけて俺無事に帰ってこられるのかな、という大いなる不安と、さっきの綺麗な人にまた会える、というちょっぴりの期待のない交ぜで重々しくもあり、軽くもあった。





『VONGOLA WONDER LAND』より一部抜粋。